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萩城下町・松下村塾

2015年夏に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録された萩へ行ってきました。




◇高杉晋作の生家
 菊屋横町に建つ、“奇兵隊”を結成した長州藩士・高杉晋作が生まれ育った家。
晋作は、1839(天保10)年、萩藩大組士・高杉小忠太の長男としてこの地に生まれた。藩校明倫館に通う一方、吉田松陰が主宰する松下村塾に入門し、久坂玄瑞と並び“松下村塾の双璧”と称される。日本発の身分を問わない軍事組織“奇兵隊”を結成し、功山寺の挙兵を決行、第二次長州征伐で幕府軍を撃破。明治維新のため力を尽くしたが、維新の実現を見ることなく、1867(慶応3)年、享年29歳の若さで病死。
維新の扉を開けた革命児は、風のように幕末を駆け抜けていった。





◇松下村塾 幕末期に吉田松陰が主宰した私塾で、建物は実家杉家の小屋を修理・増築したもの。
8畳の講義室、10畳半のひかえの間、1坪の土間の部分から成る、木造瓦葺き平屋建ての小舎である。講義室だった8畳の部屋には松陰の像や肖像画、机が置いてある。
天保13年(1842)、松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いていたのが始まりで、後に久保五郎左衛門が継承し教育にあたった。安政4年(1857)、28歳の松陰が引き継ぎ、塾を主宰することになった。
ここで松陰が指導したのは僅か2年半の間だったが、塾では身分や階級の区別無く学ぶことができ、久坂玄瑞や高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など明治新政府に活躍し、明治維新の原動力となった多くの逸材が輩出された。国の史跡に指定されている。

◇初代内閣総理大臣 伊藤博文の旧宅
伊藤博文は天保12年(1841)、熊毛郡束荷村(現山口県光市)に生まれた。9歳のときに萩に移住し、17歳で松下村塾に学び、討幕運動に参加。明治維新後、明治憲法制定の任にあたってその功を遂げ、初代内閣総理大臣、枢密院議長、貴族院議長に就任するなど政府の要職を歴任した。旧宅は木造茅葺き平屋建て、29坪の小さな家で、旧宅横には伊藤博文の像が立つ。萩藩の中間水井武兵衛(伊藤直右衛門)の居宅であったが、安政元年(1854)に博文の父・林十蔵が一家をあげて伊藤家に入家し、ここに居住することになった。明治元年、兵庫県知事に赴任するまで本拠となった家でもある。国の史跡に指定されている。

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勉強になりました。

この夏私も行きましたがこんなにしっかり見学してきませんでした。(説明も読んだけれども忘れています。)
改めて勉強させていただきました。
さすが先生はすごーい❗ と思いました。
  • はな さん |
  • 2015/10/05 (13:54) |
  • Edit |
  • 返信

Re:勉強になりました。

はなさん、残念ながらBlogをUPしながらのお勉強です^^;
行く前にこれだけ調べておけば見る目が違ってくるんでしょうね。
  • from Shuzu Ikeda |
  • 2015/10/08 (21:15)
  
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